-
聖書を詳しく知る
もともと『源氏物語』は作者と同じ時代、同じ環境を共有する読者のために書かれたと考えられており、作者と同じ時代、同じ環境を共有するだけでなく作者と直接の面識がある人間を読者として想定していたとする見解もある[49]。書かれた当時の『源氏物語』は周囲からは「面白い読み物」として受け取られており、少し下がった時代でも、例えば当時12歳であった菅原孝標女が特に誰の指導を受けると言うこともなく1人で読みふけっていたとされてる。しかし時代が経過するとともにこの物語が使用している日本語が変化し物語が前提としている知識・常識が変化するとともに『源氏物語』を気軽に読むことは困難になっていった。
現代の日本人にとっては『源氏物語』の原文は専門的な教育なしにはかなり難しいもので、瀬戸内寂聴の訳したものが近年ベストセラーになったように、むしろ現代語訳で親しんでいる人のほうが多いといえる。数ある日本のデータ復旧
の中でも恐らくその豊かな内容ゆえに最も現代語訳が試みられており、また訳者に作家が多いのも特徴である[50]。しばしばこれらは翻訳者の名前をとって「与謝野源氏」、「谷崎源氏」といった風に「○○源氏」と呼ばれている。学者・研究者による翻訳は比較的直訳・逐次語訳的な翻訳が多いのに比べて作家・小説家による翻訳は多くの場合原文に対して叙述の順番を入れ替えたり和歌によるやりとりを普通の会話文に直したり、原文とは視点を変えて叙述したりといった操作が行われていることがあるため、そのような作品は単なる現代語訳ではなく翻案作品として扱われることもある。
与謝野晶子訳
与謝野晶子は生涯に三度現代語訳を試みた。一度目は与謝野夫妻の支援者であったセミナー
家(小説家でもある)の小林政治の依頼により100か月で完成させることを目標に始められたもので、1912年(明治45年)2月から1913年(大正2年)11月にかけて「新訳源氏物語」上、中、下一、下二巻として、金尾文淵堂から出版された。1914年12月に4冊ものの縮刷版が刊行されている。これは全文の翻訳ではなくダイジェストであるが通常これが源氏物語の最初の現代語訳であるとされている。これは『源氏物語』の専門家でない森鴎外が校訂に当たっているなどといった問題もあり、その後再度『新新訳源氏物語』として翻訳を試みていた(二回目)が「宇治十帖の前まで終わっていた」とされる[51]この時の原稿は1923年9月の関東大震災により文化学院に預けてあった原稿が全て焼失したため世に出ることはなかったとされている。現在通常流布しているのは晩年の1938年(昭和13年)10月から1939年(昭和14年)9月にかけて「新新訳源氏物語」(第一から六巻まで)として金尾文淵堂から出版された三回目のものである。1939年10月完成祝賀会が上野精養軒にて開催されており、同人はこれを「決定版」としている。この翻訳は当時まだ学術的な校訂本がなかったことから「流布本」であった源氏物語湖月抄の本文を元にしていたとされる。原文にない主語を補ったり作中人物の会話を簡潔な口語体にするなど大胆な意訳と敬語を中心とした大幅な省略で知られている。また歌人らしく、各帖の冒頭に自身の和歌を加えている。1942年(昭和17年)5月29日に与謝野晶子が死去したため1993年に著作権の整体 学校
期間が満了しており、パブリック・ドメインで利用できるため青空文庫などに収録されている。また池田亀鑑の解説を加えたものが「全訳源氏物語」として角川文庫から出版されている[52]。
谷崎潤一郎訳
谷崎潤一郎も生涯に3度現代語訳を試みた。第1回は1935年(昭和10年)9月に源氏物語湖月抄の本文を元にして着手された。山田孝雄の校閲を受けながら進められ、1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)にかけて中央公論社から『潤一郎訳源氏物語』全26巻として刊行された。これは「旧訳」、「26巻本」などと呼ばれている。当時の社会情勢から中宮の密通に関わる部分など皇室にわたる部分について何箇所か削除されている。第2回は上記の削除部分を復活するとともに全編にわたって言葉使いを読みやすいように改め、1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)12月にかけて『潤一郎新訳 通販
』全12巻として刊行された。これは「新訳」、「12巻本」などと呼ばれており、豪華版や新書版が刊行されている。第3回は中央公論社版「日本の文学」に収録するために改稿に着手され、1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけて『潤一郎新々訳 源氏物語』全11巻として刊行された。これは「新々訳」、「11巻本」などと呼ばれている。これだけが新仮名遣いになっている。谷崎潤一郎はこれを「決定版である」としており、1973年(昭和48年)に中公文庫に全5巻で入れられたのもこの版である。与謝野晶子訳とは対照的に、原文の文体を生かしつつやや古風な訳文となっている[53]。
円地文子訳
円地文子の現代語訳は1967年7月に着手され、玉上琢弥、犬養廉、清水好子、竹西寛子、阿部光子などの協力を得ながら1972年から1973年にかけて全10巻で新潮社から刊行された。様々な箇所に原文にはない全く創造的な加筆しておりそれが特徴の一つとなっている。円地は1975年(昭和50年)5月に公演された歌舞伎『源氏物語葵の巻』の台本も手がけているほか、『源氏物語私見』(新潮社、1974年(昭和49年))、『源氏物語の世界・京都』(平凡社、1974年(昭和49年))、『源氏物語のヒロインたち』(講談社、1987年(昭和62年))など、源氏物語関係のエッセイも多い[54]。
田辺聖子訳
田辺聖子の現代語訳は『新源氏物語』として1974年(昭和49年)11月から1978年(昭和53年)1月にかけて『週刊朝日』で連載された後、1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から刊行され、のち1984年(昭和59年)5月に新潮文庫に収録された。当初書かれたのは「幻」巻部分までで、それ以降の部分は1985年(昭和60年)10月から1987年(昭和62年)7月まで『DAME』で連載されたが同誌の休刊により「宿木」巻の途中までで中断し、残りの部分は書き下ろしで執筆されて1991年(平成2年)5月に新潮社から「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋」として出版され、のち1993年(平成5年)11月に新潮文庫に収録された。2004年に出版された『田辺聖子全集』では全24巻中第7巻および第8巻の2巻がこれに当てられており、「霧ふかき宇治の恋」を含めた全体を「モバイル アフィリエイト
」としている。原文の巻序に従っておらず全体の構成を入れ替えており、「空蝉の巻」から始まっていることや原文の中で登場人物達が和歌で伝えようとしていることを通常の会話文に直しているなど原文を大幅に直している部分があるため「単なる現代語訳」ではなく「翻案作品」であるとされることも多い。田辺聖子には光源氏の従者である藤原惟光の視点から描いた「私本・源氏物語」(1980年、全1巻)という著作もある。
橋本治訳
橋本治の現代語訳は『窯変 源氏物語』のタイトルで1991年から1993年にかけて中央公論社から全14巻で刊行され、後に中公文庫に収録された。光源氏と薫からの視点で書かれており、大幅な意訳になっている部分もあり、 単なる「現代語訳」ではなく「携帯 アフィリエイト
」であるとされることも多い。橋本治には『源氏供養』というタイトルの源氏物語のエッセイがあり、上記の現代語訳に関する話題も収録されている。
瀬戸内寂聴訳
瀬戸内寂聴の現代語訳は1996年12月から1998年にかけて講談社から全10巻で刊行され、2001年9月から2002年6月にかけて「新装版」が、2007年1月から10月にかけて講談社文庫版が出版された。この翻訳は、近年の源氏ブームの一端を担いでいるとされる。瀬戸内寂聴には女性の視点から描いた『女人源氏物語』という1988年から1989年にかけて小学館から全5巻で出版されのち集英社文庫に収録された翻案作品のほか、『わたしの源氏物語』(小学館、1989年7月(のち1993年6月25日に集英社文庫に収録))、『歩く源氏物語』(講談社、1994年9月)、『源氏物語の脇役たち』(岩波書店、2000年3月)、『痛快!寂聴源氏塾』(集英社インターナショナル、2004年3月(のち2007年3月に『寂聴源氏塾』として軽装版を刊行))など、源氏物語関係の著作が多くある。